今回は「キャパ」について、リアル獣医学生であるネコ紳士の考え方を書いて行きたいと思います。
最近、こんなことを思ったことはありませんか?
なんで僕は他の人達みたいにできないんだろう…
この人はどうして私と同じことができないの?
そんなふうに思ったことはありませんか?
ちなみにネコ紳士はキャパが少ない方です。
ゼミでも同級生と同じ量をこなすのは正直キツイです…。
【結論】キャパの比較は自分を不幸にする
皆のキャパが「同じ」な方が怖い
キャパ(キャパシティ)とは、主に次のような意味があります。
❶ 収容能力。また、容量。
capacity(キャパシティー)の意味 – goo国語辞書
❷ 物事を受け入れる能力。受容力。
今回は「物事を受け入れる能力」や「受容力」といった❷の意味になります。
ここで考えて欲しいのは、「能力」というものに、全く同じものはないということです。
具体例
例えば、英検2級の資格を持っている人が2人いるとします。
1人は留学経験があり、もう1人はありません。
この場合、外国人に対する接し方1つにしても、前者の方が圧倒的に早く相手と打ち解ける可能性が高くなります。
しかし、一方で例外もあります。
留学経験がなくても、失敗を恐れずに積極的に話しかけに行く人もいるでしょう。
逆に、留学先で上手く馴染めずトラウマになったという人もいるかもしれません。
キャパを構成する要素
ネコ紳士は、キャパは主に3つの要素で構成されていると考えています。
- 自分の性格(価値観)や経験
- 自分の状態
- 周りの環境
キャパは自分の性格や経験、その時の自分の状態や周りの環境によって変化するものです。
また、これらの3つの要素は良くも悪くも、互いに影響を与えます。
分かりやすい例として「ブラック企業に勤め続けて自己管理が疎かになり体調を崩してしまった」というニュースをたまに見かけますよね。
この場合、「周りの環境」が悪すぎて「自分の状態」に悪影響を与えてしまっています。

良い例としては「留学するか悩んでいたが、先生に背中を押されてチャレンジしてみることにした」というのが、ネコ紳士の周りでありました。

他人と比べて自分のキャパが小さいと思っている人へ
無理をしても、誰も責任は取ってくれない
学生であろうと、社会人であろうと、共通していることは「自分がしたことは、回りまわって自分に返って来る」ということです。
周りの人は可哀そうなあなたを憐れんでくれるかもしれませんが、決して「じゃあ私(僕)が代わってあげるよ」なんて言いません。
というか言えません。
その人にも、その人の人生がありますからね。
学生の間は親が一部の責任を負うこともあるかもしれませんが、自分がしたことが無かったことにはなりません。
自分がしたことは一生自分について回ります。
自分がどんどん追い込まれて心に深い傷を負っても「自己管理ができていなかった」「だったらなぜそこから逃げなかった」と言われてしまうのが落ちです。
追い込まれている人ほど、自分がどれだけ危ない状況にいるのか気づきにくいものです。
「最近なんかしんどいな」「今のままでもいいのかな」という違和感でも構いません。
何か引っかかるものがあるのなら、1度立ち止まって、自分について改めて考えてみませんか?
キャパが小さい理由を考えてみよう
「キャパが小さい」と言うとネガティブに捉えがちな人が多いかもしれませんが、だったらその理由を考えてみましょう。
理由を前向きに捉えることができれば、「キャパが小さいのも案外悪くない」と思えるかもしれません。
1つのことを丁寧にやっているからかも
1つのことにかける時間が長ければ、当然できることは少なくなります。
しかし、そこは「遅い」と捉えるのではなく、「丁寧にやっている」と考えることができるかもしれません。
もちろん、ダラダラしていたり集中できていなければ、それは単に無駄に時間がかかっているだけです。
一方、自分なりにちゃんと1つの物事に向き合っているなら、それは無駄とは言いません。
先程も書いたように、キャパ、つまり個々の受容力(許容量)は異なります。
最初は時間がかかっていても、慣れてくれば少しずつ時間を削減する考え方やスキルが身についてくるはずです。
まとめ
- キャパを他人と比較すると自分を不幸にする
- キャパは自分の性格や経験、自分の状況や周りの環境によって、常に変化する
- 「キャパが小さい」ことが悪いとは限らない
- 自分が無理をして壊れても、誰も代わってはくれない
- 自分が真剣に向き合っていれば大丈夫